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2013年11月 5日 (火)

福島から

連休中に、福島へスタディツアーに行ってきました。郡山市では市議の蛇石いく子さん、いわき市では市議の佐藤和良さん、そして除染労働をされてきた方のお話をお聞きしました。

手入れができないままに、ススキとセイタカアワダチソウだらけになった田畑。汚染土の詰まった袋が山積みになっている道路。Jビレッジ(福島第一原発から車で30分のところにあります)の周辺に近づくと、バス車内でも線量計が2マイクロシーベルト超の値を示し、警告音が鳴り続けていました。

危険なエリアに行くほど賃金が安くなる、ピンハネだらけの除染労働の実態。そして佐藤和良さんのお話からは、3・11の一年前、2010年6月17日にも福島で全電源喪失しており(その原因を東電は、さわってはいけないスイッチに職員のヒジがあたってしまったためと説明しているそうです)、その後、事故防止のために電源の位置をせめてもっと上の位置に移動してほしいと、3・11の直前まで東電に交渉していたと、お聞きしました。

「想定外」どころか、すでにこのような事態が直前に起きており、またそれに対する対策も市民から提案されていたことになります。

また、被災地が帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域というきわめてアイマイな区分で3段階に分けていますが、そのことが「どこに住むか」の決定を表面的には個々人の判断に委ねる形となり(実際はそうでないにもかかわらず)、被災者の間に多くの混乱と葛藤、分断をもたらしていると思います。放射能の影響で、住めないところは住めないと、政治が明確な判断をすべきです。

そして皆さんが共通して言っていたのは「オリンピックで、福島のことは忘れられてしまうのではないか」という懸念でした。必要な建設資材や人材やお金が福島ではなく東京のほうへと集中するのではないかと。事実、すでにそのような動きが始まっているとの情報も、耳に入ってきます。

一泊二日という限られた時間ではありましたが、私にとって、インターネットや新聞などの間接情報だけでなく、被災地の人たちと「顔の見える」つながりを持つことの意味をあらためて考えたツアーになりました。

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